あの日から44年経過
当時
Hさんにあつい想いを寄せた友人がいた
しかし
いくらアピールしても
知らんぷり
その様子を傍で見てて
「こんちくしょう!!
なにを気どってる!!!
どれ!
私が一度
話をしてみてあげよう」
ということで
Hさんを
とある場所へ
呼び出すことになった
初めて
Hさんと
会話した
その日が
1・29
なぜよく覚えてるかというと
彼の誕生日が
1・26
その直後のできごとだったから
私からすると
過って接したことない
見るからに
真面目な勤労青年のHさん
内心ドキドキ
「大丈夫なんかなぁ・・・・」
ちょぃと
緊張したような記憶あり
「届いてると
思うんだけど
彼女は本気です
一度
会ってあげて下さい」
そう話しかけた
すると
「ぼくにも
選ぶ権利がある
あなたのことが
ずっと前から好きだった
でも
声をかけることができなかった」
いやぁ!
おどろきましたねぇ!!
まさかの展開
これは
お互いさま
って言えそうなことだけど
まったく
タイプじゃないでしょう
みたいな
話をした
さぁ!
次の日
彼女に
Hさんに告白されたなんて
言えるはずもない
どういう報告をしたのかは
定かに覚えてない
きっと
彼女を
傷つけないように
言葉を選んだことでしょう
遊びごころなさそうで
窮屈そうで
ミスを許さなさそうで
必要以上に几帳面そうで
常識的には
すばらしい好青年
なんだけど・・・
タイプじゃないよ!!
そんな彼に
聞きたかった
「え!! なんで私なん??」
ってほど
イミが
わからなかった
それが・・・・
なぜ
結婚となったのでしょう・・・
きっと
まだ
危なっかしく
フラフラしてた私を
ほっとけなかったのでしょう
ある日
結婚する自信のない私に
乙女のような
お手紙をくれた
「こけそうになったり
崖から落ちそうなったら
ぼくが
助けてあげる」
のちに
彼の
日記を見たら
その頃の様子を
こう記してあった
「社会奉仕」
そう!
どうやら
彼は
人助けのお役目だったらしい
うん!
今では
私も
自立して
何とか生活してるけど
彼は
逝くまで
家族の面倒を
よくみてくれたもんだ
重かったんだろうなぁ・・・
疲れたんだろうなぁ・・・
負担ばかりかけて
ごめん!!
神さま 仏様
と 手を合わせてすがることのない
相変わらずの
不謹慎
かといって
いつも
バブがこころにいて
「ありがと♪」
と手を合わせる
わけでもない
おまえさん!
いったい
どういう女なん・・・
まだ
バブもいたころの話
親である
ガスにお手紙したことがある
「私を育ててくれたのは
パパです」
今もそう思っている
ガスは
ショックだったかもだけど
そのことを認める
返事をもらった
そんなこんなで
バブへの感謝はいっぱい
なんだけど・・・・
うん!
寅さんじゃないけど
死んじゃぁ
おしめぇだよ!!
育ててくれたのはパパ
しかし
DNAは
間違いなく
ガス
それは
遊びごころ
彼は
お酒呑むから
半端ない
豪快だったけど
ハマった趣味には
イケイケでしたねぇ
ジャンルは違って
錆びではなかったけど(笑)
バブさん! ガスさん
!
あちらで
出迎えてくれるのは
いったい
どちらさんでしょうねぇ
多分
「精一杯
自分にできることはやった
このあとは
お父さんにお返ししますので
よろしく!!」
のような気がする(笑)
うん!
お酒を呑みかわしながら
ガスとそのお友達で
ワイワイしてみたいかも♪
バブには
これ以上
お世話かけるわけには
いかないっしょ・・・・ネッ!!
by rastic-haru | 2014-01-29 10:35 | ひとりごと